〈耕うん機、トラクター、原動機〉
- 1915年=アメリカのホルト社のトラクターが我が国で初めて導入されて、北海道・斜里町の三井農場で使われた。
- 1920年頃=国産の石油発動機が出てきた。同時に、ユーティリター(米国)、シマー(スイス)、ビィーマン(米国)といった耕うん機の元祖のような小型のガーデントラクターが輸入されて、石川県、岡山県、静岡県、新潟県、福岡県などに導入された。
- 1957年=農林省がホイルトラクターの取り扱い講習会を初めて開催した。当時、トラクターの普及台数は全国で約1500台だった。
- 1959年頃=久保田鉄工から国産初の畑作用四輪トラクターT−15が発表された。
同じころに小松製作所からジープのような形をしたコマツ農民車も発表されている。
- 1960年=動力脱穀機、もみすり機の個人所有が進展して、農業原動機、エンジンの類が農家2戸当たりに1台ぐらい普及。
石川島芝浦機械からS−15という中型のトラクターが発表された。
- 1962年=井関農機がポルシェとの提携によって大型のトラクターを発売。
- 1974年=歩行型トラクターの普及台数がピークを迎える。338万台。
- 1975年=久保田鉄工から9馬力の四輪駆動トラクター・ブルトラが発表された。このトラクターが歩行型から乗用型に移っていく大きなきっかけになった。
- 1976年=石川島芝浦機械からターボつきのトラクターが発表された。
- 1977年=耕深の自動制御、電子制御によってロータリーの耕深を一定に保つという装置とか、油圧無断変速HSTを使ったトラクターが発表された。
- 1981年=三菱農機からパルシードという名前で、トラクターをフラットデッキ化。以前はトランスミッションのところがトラクターの真ん中で出っ張っていて、乗り降りしずらかったが、フラットデッキになって乗り降りが楽になった。
諸岡から我が国初のゴムクローラトラクターが発表された。
- 1993年=本田技研工業から歩行型トラクターの、ダッシングがほとんど起こらない同軸同時正逆転ロータリー発売。
- 1995年=ヤンマー農機から速耕「エコトラ」という名前で、電子制御燃料噴射を農業機械としての特性に合い、省エネになるように調整をしたものが発表された。
この年にトラクターの普及台数が231万台になって、ピークを迎えた。
- 2002年=クボタから、ハーフトラックといわれる半装軌式のトラクター発売。後輪のところだけがゴムクローラになっているもので、柔らかい圃場などで現在でも大活躍をしている。
- 2003年10月=ディーゼルの排気ガス規制が開始され、19kW以上のエンジンのついている農業機械は皆、この排気ガス規制の対象になった。
- 2006年=ヤンマー農機から電子制御HSTと遊星歯車を組み合わせた無段変速機構が発表された。
〈田植機〉
- 1960年=関東東山農試で関東式田植装置を特許出願。
- 1961年=関東東山農試の農機具部に、新農機具開発研究会が設置され、ここで民間と共に田植機の開発に当たる。
- 1962年=東京の関口正男さんが、カンリウ式という名前で、稚苗用の田植機の発明特許を出願。これが田植機に関する特許の第1号といわれている。
- 1963年=久保田鉄工から苗取出機という名前で、実態としては田植機に関する発明が出された。マメトラ農機からは成苗用田植機の特許が出された。
- 1964年=農業機械化研究所により土付き成苗用田植機が実用化。
- 1965年=農機研で稚苗用の田植機の研究に着手し、帯状苗を使用した人力土付き稚苗用田植機、連続紐苗使用の土付き稚苗用田植機を開発。
- 1966年=井関農機から稚苗用の多条田植機が発表された。
- 1968年頃=農機研で乗用田植機の試作が始まる。
- 1969年=乗用田植機と平行して、根洗い式の田植機の苗取り機を開発。一方では、稚苗用の歩行型田植機がこのころから普及し始める。
- 1976年=各社から相次いで乗用型の田植機が発表される。
- 1983年=ペースト状の肥料を用いた側条施肥機がオプション装備されるようになる。
- 1985年=農業機械化研究所が高速田植機を発表。それまでの田植機がクランク式の植え付け機構で、クランクが共振してしまうので、スピードが上がらなかったものを、ロータリー式にした。翌86年、井関農機から市販が開始される。現在の田植機はほとんどこの高速田植機仕様になっている。
- 1989年=田植機の普及台数が221万台となってピークを迎える。
- 1999年頃=田植機の使い勝手の良さが求められてきて、三菱農機、クボタから超低速レバーがついた田植機が出される。超低速レバーによって畦の乗り越えとか、田んぼへの出入りに怖い思いをしなくてすむようになった。
- 2000年=クボタから、運転がずっと楽になったノンブレーキ旋回、ノンクラッチシフト田植機が発表される。井関農機からは、音声機能付き田植機が発表される。
- 2001年=みのる産業から苗供給と空箱の回収を自動化した、ハンドリングに対して工夫をした田植機が出る。
- 2002年=生研機構と三菱農機の共同研究により、紙マルチ田植機が発表された。同じ年に三菱農機からは枕地均平装置付き田植機が発表されていて、これによって植え付け精度が向上した。同じ年にクボタからは多目的田植機が発表された。これは、単に田植機として働くだけではなく、田植機の作業部分を換えることによって高精度な湛水直播機とか除草機というようなものを付けられるようになっている。
〈コンバイン〉
- 1946年=中津栄造という人が、稲麦刈取機脱穀機の特許を出す。これがおそらく刈取脱穀機、つまりその場で刈り取って脱穀をする、元祖コンバインになるような特許の第1号だろうといわれている。
- 1955年=自動刈取脱穀機というのが川崎さんという方によって発明された。これがおそらく自脱型コンバインの原型に相当するのではないかといわれている。
- 1960年頃=関東東山農業試験場農機具部で、国産の普通型の小型コンバインの研究が開始される。
- 1961年=自脱型コンバインが井関農機さんによって考案されていて、66年から発売になる。
- 1962年=農機研では自脱型コンバインの第1号を試作。
- 1963年=農機研に水稲収穫機械研究会が組織されて、技術指導、共同研究が行われ始める。
- 1967年=久保田鉄工から直列3条の乗用型の自脱型コンバインが発表される。
- 1970年=全面刈の自脱型コンバインが発売開始。全面刈りというのは、機械の幅の分が刈り取れるということで、初期のコンバインは刈り取れる部分が機械の幅のある一部分だけだったため、中割りができなかったが、この頃からできるようになった。
- 1974年=井関農機から、自動直進装置とかの、自動化装置を搭載したコンバインが発表される。
- 1976年=結局発売にはならなかったが、完全無人コンバインが井関農機から発表される。
- 1984年=農機研で汎用コンバインが開発され、88年から発売された。
- 1989年=自脱型コンバインの普及台数が126万台になってピークを迎えた。
- 1997年=ヤンマー農機から丸ハンドルのコンバインが発表された。
- 1998年=自脱型コンバインではなくて、大豆、そば、麦用の小型の軸流コンバイン、普通型コンバインが発表された。
- 2002年=中山間地でも対応できるような世界最小のコンバインが生研機構と三菱農機との共同研究で発表された。
〈その他〉
- 1953年=農業機械化促進法が公布され、この法律によって、農業機械化が進展した。国営検査もこの中に規定されている。
- 1957年=社団法人日本農業機械化協会が発足した。
- 1962年=「三ちゃん農業」という言葉が流行語になる。同じ年に農業機械化研究所が設立される。
- 1970年頃=トラ・コン・田と今でもよく言うが、トラクター、コンバイン、田植機が3種の神器と称されて、急速に導入されるようになる。
- 1975年頃=有吉佐和子さんが、『複合汚染』という小説を書き、その中で機械化貧乏という言葉が出てきたり、農業機械の事故、安全性の問題についても指摘されるようになってきた。そうしたことを受けて、1975年から安全キャブ・フレームの国営検査が始まる。
- 1993年=緊プロ事業が開始される。
- 1998年=枕地処理まで完全無人で行う耕うんロボットを発表。
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