縁あって財団法人松山記念館の文化講演会に招かれて、丸子町から上田市に住所表示が変更になったばかりの松山株式会社に行きました。
 松山信久社長(右)と
7月に北海道帯広で開催された世界農業博覧会(日本農業機械工業会の地方大会があわせて開催されていました)に出席した帰り道、空港へのバスの中でたまたま松山信久社長さんとご一緒して、タイの農業についてお話しする機会がありました。タイの農業が急速に機械化を求めてきていることや日本企業の合弁会社がタイでトラクターの販売を伸ばしていること、タイだけでなく周辺諸国も近い将来に機械化が進んで行くであろうことを熱く話させていただいた記憶があります。
9月のはじめ、病院で健康診断を受けているときに事務所に電話がかかり、急いで携帯電話から連絡すると、10月の中旬の土曜日に会社で講演してくれないかとのことでした。タイの農業や周辺国のことをと言うことなので、土曜日と言うこともあって喜んでお引き受けいたしました。タイの情報につきましては、日農工の機関誌に書いたのを元に機械化広報でも書き直していましたので、これにクーデター等の最新情勢を追加してお話しさせていただくことにしました。
10月14日お昼過ぎに長野新幹線で上田まで行き、しなの鉄道に乗り換えて、大屋まで行きました。そこから歩いて数分で松山記念館に着きました。ここには13年前に肥料機械課で総括課長補佐をしていた時に当時の羽場肥料機械課長と一緒にお邪魔をしたことがありました。その時には平成17年の暮れに亡くなられた松山徹会長(当時は社長)さんにお目にかかり、記念館と工場を見学させていただいております。今回改めて記念館の学芸員の田中さんのご案内で詳しく勉強させていただきました。松山株式会社の歴史と我が国の農業の機械化の黎明期の記録が残されています。
松山記念館は創業者である松山原造翁が大量に保管していた発明考案から製造、営業に付随する論文、会計帳簿、日記等の資料から、製造用具、生活用品などを貴重な民族資料として整理、保管しようと、2代目の松山篤会長が私財を提供して設立された財団法人です。
昭和53年から準備を始め、昭和60年12月に「松山記念館」の看板を掲げて開館され、平成4年1月に財団法人に、更に4月に博物館法に基づく博物館として登録されています。敷地面積782m2、建築面積462m2の施設で、第1展示室には松山原造、篤会長の愛用品から双用犁の発明・普及・研究開発関連資料などが、第2展示室には畜力犁、馬具、製造用具をはじめとして、事業の変遷を示す資料がそれぞれ集約されています。
 特許関係書類 |
 第2展示室 |
第1展示室では、原造翁の発明で明治34年に特許第4975号に登録され、特許犁の始祖となった単ざん双用犁(タンザンソウヨウリ)(松山スキ)の図面や特許の延長許可(今はこのような制度はありません)などに関する貴重な資料が保存されています。第2展示室には原造翁の長男である篤翁によって発明されたわが国初のハンドトラクター用のスキをはじめ畜力犁、馬具、在来農具などの実物が展示されています。珍しいところでは昭和20年代に導入されたクリントンエンジン搭載のメリーティラーという小型のハンドトラクターがありました。今日の機械耕耘の始祖を見た気がしました。
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無床犁(抱持立犁) |
畜力犁 |
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昔の製造工具類 |
メリーティラー |
後日、国立科学博物館の産業技術史資料情報センターからの照会に応じて松山記念館の話をしたところ、早速現地に飛んで行き、時代を追った資料の多さに驚き、是非永くしっかりと保存して欲しいし、このような貴重な資料を農業機械業界として紹介するようなイベントを開催してはどうかと提案されてしまいました。 |
 トラクター用の犁 |
松山社長と会社の玄関で写真を撮らせていただきましたが、今回は工場見学をさせていただく時間がなかったので、会社のことは次の機会に・・・
最近第15回文化講演会(記録)なる小冊子ができあがってきて、話した言葉が活字になって戸惑いを感じています。この次は松山株式会社がタイで活躍しているという話が聞けたらいいなと思っています。
 篤翁考案の犁 |
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