医療現場から見た 農作業事故の問題点
碧南市民病院 麻酔科   尾野 隆
-痛ましい農作業事故-
数年前、85歳の男性が畑で歩行型の小型耕うん機を操作中、バックギアに入た際に倒れてしまいその体の上を機械がはい上がる形でロータリーに巻き込まれて、大腿部から体幹、両手、顔面とひどいケガが発生しました。この人は麻酔をかけるまで、比較的意識は清明で、早くばあさんを呼んできてくれ、と叫んでいたのが印象的でした。人工呼吸のための気管挿管をするとき、のどの奥は血液と髄液の中に頭蓋底の骨の破片や組織が散らばった状態で、まるで具だくさん味噌汁のような状態でした。気管の中にも血液や骨の破片が吸い込まれて、流れ込んでいました。眼球は破裂し前頭部にも穴が開いて、頭蓋内の空気が入り込んで、気脳症と呼ばれる状態でした。全身的には右の大腿部の挫折蒼、肋骨骨折と肺挫傷による急性呼吸不全、左眼球破裂、頭蓋底骨折、脳挫傷などの診断で、緊急手術は整形外科、眼科、耳鼻科など多数の外科医が参加し、夕方から夜明けまでの長時間にわたりました。結果的には何とか一命はとりとめましたがICUでの長期間の人工呼吸管理の後、両眼を失明、精神活動は低下して、普通に話すことはできず、食事も全介助が必要という状態で転院されていきました。
もう一つご紹介したいのは、40歳女性の症例ですが、お舅さんと一緒に農作業をしていてお舅さんが管理機をバック操作しようとしたとき、制御不能となって、巻き込まれそうになり、嫁さんがこれを助けようとして、自分がロータリーに足を巻き込まれて負傷した、というものです。左膝関節の開放性脱臼骨折と、膝の動脈損傷、右下腿の骨折という診断でした。膝のところが大きく損傷を受け、大腿骨の下が飛び出しています。右側は膝から下ですが、血液循環が途絶えて、チアノーゼといわれる紫色をしています。この症例もやはり長時間にわたって緊急手術がなされ、膝の骨と関節の修復、それに動脈をつなぐ努力がなされましたが血液循環は戻らず、感染を起こし、数日後左大腿骨切断という結果になりました。
-農作業事故の把握は不十分-
当時病院研修などで親しかった、碧南消防の救急救命士の加藤さんに碧南市の過去の管理機事故の救急事例を調査してもらったところ、ほぼ毎年のように、12年間で11件の事故があり、12人の傷病者が出ていました。これを愛知県の農林水産部が発表している毎年の農作行事故発生の一覧表と対比してみたところ一致するのはたった2件にすぎませんでした。ご紹介した2件の重傷例は届け出がなされず、把握されていなかったということが判明しました。
同様に幡豆消防救急隊の青木救命士に幡豆郡における刈払機やコンバインなども含めた農業機械事故全般の事故発生状況を調べていただいたところ、救急隊が10年間に33件の事故を扱った事実があるのに対して、県の統計ではわずか3件だったことがわかりました。農作業事故は届け出があったものよりもはるかに多く、およそ10倍の症例を救急隊が病院に搬送していた、という事実が判明しました。ハインリッヒの法則を考えると農作業事故の発生は実際はもっと多いと推定されます。自力で、または身内などが病院に搬送する軽傷例は救急隊が関与していません。
なぜ届け出が少ないかということを私なりに考察して愛知県の農業安全講習会などで紹介しました。ほとんどの農家は労災などの保険に入っていないので届け出てもメリットはありません。JAにも加入していない週末中心の小規模農家が多く、機械はJAよりもホームセンターなどの他の代理店から、安くコンパクトで扱いやすそうに見える管理機などを買っています。誰がどんな機械を持っているのか解らない状態です。
農作業事故は道路で起きる交通事故ではないので届け出の義務はないようです。県によっても違うそうですが、警察はほとんど介入しないようで詳しい現場検証も行われてないようです。自損事故であり、自分が悪いと考えられているため届け出たくない、届け出る制度自体知らない、などの理由が考えられます。
-救急隊や病院から見た農業機械事故の特徴-
救急隊や病院から見た農業機械事故の特徴は、大半が高齢男性です。事故現場は田畑の中か周辺ですから人がいなくて、足場が悪く、ロータリーなどに巻き込まれ刃が刺さったまま、巻き込まれたまま身動きがとれません。発見が遅れがちで通報にも時間がかかります。救助が困難で出血が多く、痛みが強く、体温が低下します。足や手がアジのタタキのようにぐちゃぐちゃになり傷口は泥土にまみれ細菌感染を防ぐことは難しく、手術などで元通りにしようと努力しても、結局手足の切断という結果になりがちです。
何とか退院したお年寄りがリハビリを頑張って義足を使いこなし、また農作業に復帰することはまず無理と考えられます。本人にとっても家族にとっても、損失は図り知れません。悲惨な老後が想像されます。農作業事故の外傷は、心臓発作による突然の心停止などとは違って、心マッサージや人工呼吸、ADEによる除細動などの最近普及し始めた救急蘇生法はそのままではあまり役に立ちません。一般の交通事故や労働災害に比べても農作業事故は外傷の程度がひどく、特有の問題があるように思います。
-事故防止策・受傷者救済策へ提案-
それぞれの立場で問題点を考えて、愛知県でも紹介しました。負傷者は老人で機械に弱く、動きが鈍く、作業の危険性を認識しておらず無防備です。救急隊は事故の背景も治療経過も知りません。労災でもなく交通事故でもなく、一般会社の中に埋もれてしまいます。病院は事故の背景や現場の状況を知らず、外科、整形、脳外科などが受傷部位別に管理します。農作業事故という分類がなく、検索もできません。行政は事故の発生状況の実態を正確につかんでいません。事故防止策も受傷者の救済も不十分だといわざるを得ません。
機械メーカー、JA、販売店などは、新しい機械は安全になっているとか、危険な使い方をしないよう表示や説明をしているといいますが、それで済む状況ではありません。車だったらリコールなどで会社がつぶれるほどの問題になるはずです。それぞれの立場がバラバラなところが問題だと思われます。
確かに農業機械の技術開発は進み、安全対策は考慮されていますが、農家の機械の更新は進んでいません。その訳は、特に老人は新しい機械になじみにくく、慣れた機械が使いやすい、輸入農産物に押されて農家の収入が減り、経済的に買い換える余裕がないとかの理由のほかに、中古の農業機械市場の存在も気になります。古い機械は、古い安全基準で作られており、機械の整備や取り扱い説明なども十分でないと思われます。実際、外国からのバイヤーが古い中古機械市場を訪れており、発展途上国へ機械の輸出とともに事故も輸出されているのではないかと懸念されます。
2,3年前、私達は愛知県に、行政は救急隊や病院に農作業事故の情報提供を要請するよう提案しました。まず、現状の正確な把握が必要です。届け出を待っているだけではだめです。実際に事故は身近に頻繁に起こっています。事故が発生したら直ちに市町村が動いて聞き取りや現場検証など調査をする必要があります。また、受傷者を支援救済する体制が必要です。事故機種や状況を分析検討して事故原因を考え、防止策を立てなければなりません。農業関係者自身が中心となりネットワーク作りや啓蒙活動を行い、救急隊やドクターヘリの利用など連携作りをすることです。
その後の新しい展開として愛知県では、農業者自身に危機感が芽生え、安全対策も取り組もうという姿勢が出てきたように思います。具体的には、「ヒヤリ・ハット運動」が始まり、身近なところから農作業を振り返り、危険を回避する対策を考え始めたこと、農作業安全講習会など啓蒙やネットワーク作りが充実し始めていることです。
結論です。農業機械事故は身近に、頻繁に起こっており、その実態さえ把握されていません。事故防止は実態の把握から、そのためには、救急担当組織と農業関係の行政組織の協力とネットワークが必要と考えます。農作業事故は決して他人事ではありません。農業者自身から何とかしていかなければなりません。具体的な問題点をとらえ、対策を立てていくのは農業従事者自身しかいません。全国的な問題として行動を起こす必要があります。

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