JR山陰本線米子駅前で、駅に隣接する一等地に本社、工場があります。建物の2階に事務所があり、社長室に河島隆則社長を訪ねました。河島社長は昭和4年生まれの76歳で2代目だそうです。
河島農具製作所は大正7年に岡山県湯原町で単用犂を製造する河島式農具製作所を現社長の父である河島利一郎氏が興したのが始まりです。その後、昭和8年に社名を河島農具製作所に改め、現在地の米子市で製造品目をそれまでの犂に加えて、足踏み脱穀機および牛馬用鞍を製造しました。その後、戦争による動乱期や国際緊張に端を発した輸出停止からくる大規模負債等の苦難の時代もありました。これらを経て、昭和31年から車輪の付いたものに転換していき、38年に鋼板製トレーラーにメタリック銀粉焼付塗装を施した「河島式トレーラー」が市場の好評を博し、運搬車を中心とした製造に移行していったようです。
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高所作業車の組立てライン |
現在は運搬車、高所作業車、建設機械が中心となっており、農業機械の割合は6から7割となっています。技術を中心に据え、開発はすべて自社で行い、販売網を持つ企業にOEMで供給することを基本に事業を展開しています。このため、河島農具製作所と知らずに使っている農家の方がほとんどでしょう。高所作業車では国内販売の7割くらいのシェアを持っているのではとの話もありました。一方、輸出にも力を入れており、フランス、イタリア、スイスにぶどう生産のための作業運搬車を輸出しています。
製造施設で目についたものは塗装ラインでした。3メートル程度の超尺物のシャーシなども塗装可能なラインが整備されており、他の企業のシャーシなどを受託して塗装することもよくあるようです。また、コンピューターをフル活用して、関係企業とオンライン化を進めるとともに、3次元キャドなども早くから導入し、利活用しているようです。
米子駅に隣接する一部の土地を市の公共用地に寄付する一方で、工場となりの警察署跡地1000坪を新たに購入し、工場の拡張を計画するなど意気盛んです。また、河島社長のご自慢は昭和42年に米子税務署の準優良法人の指定を受け、さらに50年には優良法人に昇格し、その後何回かの監査を経ながら現在まで継続して表彰を受けているということでした。最後に、絶対に写真はいやだと仰る社長さんに無理矢理お願いして一緒に写真に収まりました。
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