都市零細産地の生き残りを賭けて〜JA横浜の「一括販売」の取り組み
JA横浜みなみ総合センター・矢沢定則氏

舞岡地区を中心とした旧JA横浜南管内のJA横浜では、「一括販売」と呼ばれる地域流通戦略をうち立て、農協が仲介となった生産者と地元小売店との直販体制を構築し、成功を収めている。研修では、JA横浜みなみ総合センターの矢沢定則営農部長から取り組みの概要について説明を受けた。
  〈矢沢氏の説明要旨〉
 一般に「都市農業」というと良いイメージで捉えられるが、影の部分はあまり見てもらえない。一般の市民からみれば自然があって緑があって非常に環境が良い地域ということになろうが、農家としてはそこで食べていかなければならないわけで、都市においてどう農業を展開していくのかという戦略をもつことが大変に重要になってくる。それは、おいしい物を作ったり生産性を高めたりも重要だが、一番の問題は、作ったものをどう売るか、流通に乗せるかということ。大規模な産地であれば、作るだけ作って、あとは共販に乗せて…という手法もあるだろうが、舞岡のような零細な産地ではそれだけでは流通させられない。
 「一括販売」とはどういうことかというと、誰でも、何でも、いつでも、少量でも、とにかく農家が脱落しないように無理をしない生産体制で、それでも地域の全員に生産してもらって、多様な産品を集め、それを地域の力にしていこうということ。
 誰でも=というのは農協の組合員であれば、専業的な農家でなくても、自家用に作っているような人でも、高齢者でも女性でも誰でも参加できるということ。何でも=とは、作ったもの何でもいいですよ、逆に、作れるものを何でも作ってもらって、それを皆の力として集めましょうということ。いつでも=というのは、できる時にやって下さい、生産計画は自分で決めて、出せる時に出して下さいということ。少なくても=とはどんなに少量でもかまいませんということ。
舞岡ふるさと村「虹の家」で研修する参加者

都市農業は落ちこぼれ?
私たちは当初、これを新しい考え方だとは思っていなかったが、結果として新しい取り組みになった。それは、かつての農業基本法は合理化、効率化、生産性の向上による大型産地の育成というものを究極には目指しており、農協はそれに対応するため共販を志向する。共販に農産物を乗せられるのは専業的な農家同士なので、誰でも参加できるわけではない。何でもいいというわけにもいかない。ここはダイコンの産地にしましょうとかキャベツの産地にしましょうと産地化を図ろうとしているわけなので、特定の品目あるいは品種までも指定される。計画生産、計画販売なので、いつでもというわけにもいかない。同様に、最低限のロットを揃えなければならないので、少量でもいいというわけにもいかない。しかしこういった考え方は横浜では通用しなかった。キャベツなどは共販でやっていたが、大半の農家は大規模化についていけず、ばらばらになっていったというのが都市農業の現実。舞岡のようにみんなでまとまって農業を守ろうなどというのは極めて稀なケース。農業基本法の大きな理想からどんどん落ちこぼれていく。これが都市農業であるといえる。このままでは横浜の農業が絶滅するという危機感のなかで、どうすべきか考え、「地産を興す」という発想に至った。脱落したとはいいながらもみんなまだ何かを作っている。年寄りだって何かしら作っている。それが表面に出てこないだけで、それを掘り起こう、皆で仲間になって協力しあえば、まだまだおれたちにだって力があるんじゃないかと考えた。
 今でこそ、この一括販売は年間4億5000万円の規模になり、JA横浜の販売高で最も大きな比率を占めるまでになったが、当初は誰も成功するとは思っていなかった。
横浜の「一括販売」方式について話す矢沢氏

地産を興す〜皆で力を合わせて
きっかけは、近所のスーパー(イトーヨーカドー)から、地元の野菜を売り場に並べたいという話が持ちかけられたこと。しかし、当時、舞岡の中核的農家15戸程度に相談したところ、自分たちだけでは無理だという返事が返ってきた。それは、自分で直売所などをやっているし、自分の販売のキャパシティーに合ったもので手一杯だという。ならば、ほかの小規模にやっている人たちに協力してもらったらどうかということになった。専業農家は、例えばホウレンソウを1日100杷200杷作るが、1日10杷しか作れない農家でも10人集めれば100杷だと。このスーパーへの販売は、昭和62年に開始して2700万円、翌63年には4500万円となり大変な実績を築き上げた。
 この方式を横浜全体にも採用しようということになったが、舞岡というのは集落性が強くまとまりの良い地区だったが、ほかではそういうわけにはいかず、平成4年に始めた時には参加したのは20戸、200万円の売上げだった。しかし、この20戸の農家の呼びかけなどで徐々に輪が広がり、14年には550戸が参加するようになった。最初は専業だ兼業だという階層意識みたいなものがあったが、今では出荷場に行けば皆同じ仲間という意識ができてきている。
 次に取り組んだのが流通対策。「地消を拓く」ということ。
 現在の流通の形態をみると、農協がやる共販は生産者からモノを集めて、それを市場により有利に販売するのが仕事。複数の市場と取引するなかで、価格交渉をやるが、その交渉もロットがあってのこと。我われの一括販売のように少量しか持たない者が市場に注文をつけたところで、ならばいらないと言われるのが関の山。要するに、ロット勝負の産地間競争には勝てない。これは都市農業の決定的な事実といえるだろう。横浜もキャベツの共販をやっているが、横浜の1年間の出荷量は、同じ神奈川の三浦の10日分程度しかない。
 では、都市農業の持ち味が生かせる流通とは何かというと、生産者と消費者の直販だろう。まわりに消費者がたくさんいるので、これがうまくいけば、農協や市場などいらない。ところが、すべての生産者が消費者との関係、販路の確保ができるわけではないし、直販ですべての産物がさばけるわけでもない。最近の動きとして、農協が大規模な直売所を開き消費者に直接販売するファーマーズマーケットのような形態もあるが、横浜についてみると、農家自身の持つ直売所がそこらじゅうにあり、農協と農家が競合することになる。また、横浜のように商戦が厳しい地域で農協がどーんと店を出すということは、すべてを敵にまわすことになりかねないので、将来的にどうかはともかく、今のところ得策ではないと考えられる。
 そこで考えたのが、農協が市場を通さず、小売店に直販を行う方式。生産者に1番近い農協と、消費者に1番近い小売店が直接結びつくことでベストではないがベターな流通が確立できるのではないか。農協が市場に売るのと小売店に売るのとどう違うかというと、価格形成において、市場に出す時は価格の乱高下があり、大儲けするときもあれば大損するときもある。しかし小売店相手の場合は、消費者の値ごろ感がベースにあるので、そんなに高く売ることもできないが、極端に安くなることもない。こうして底値をつぶしていけば、収益性は高くなる。高く売ろうという考え方ではない。それとスーパーは品数を揃えることを重視するので、我われのような少量でも色んな品物が集まってくるということが逆にメリットを生んでくる。
 販売先は量販店にとらわれず、可能な限り開拓していきたい。将来的にはスーパーという軸足は残しながら、独自の直販ネットを広げていきたい。また学校給食や福祉施設などへの食材供給も積極的に行っていきたい。給食は現在30校との取引がある。地産地消に食育というアプローチは非常に重要だと思っている。

「ハマッ子」ブランドをはびこらせる
 こうして地産地消の道筋ができ、次に必要なのが「メッセージ」。おいしい、安全・安心も大切なメッセージだが、我われは産地表示をきっちりやることが最大のメッセージだと考えて、「ハマッ子」のブランドで統一して販売している。地元産であるといことが最大のメッセージだと考えている。そして戦略として重要なのは、この「ハマッ子」を横浜中にはびこらせること。量は少なくてもいいから、横浜のどこに行っても「ハマッ子」が置いてあるという状況を作り出す。ゆえに拠点はない。そのかわりに点を線で結ぶ直販のネットワークを広げることこそが地産地消であると考えている。

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