九州での研究への取り組み

九州の畑作地帯は、冬は温暖であるが夏は高温で干ばつ、梅雨と台風の豪雨という気象条件のため、風化溶脱作用を受けた不良火山灰土壌であり、夏作は甘藷を、冬作はなたね・麦類、飼料作物・畜産を主体に、比較的小さな規模で営農されていた。
畑作部は、大規模機械化営農を目指した研究を進めるため大型機械は一応整備されていたが、畑作機械化研究のための実験施設や測定器は未整備状態であったため、小生の初仕事は試験施設など研究環境の整備づくりであった。この要求は、内地留学でお世話になった北海道農試の鳥山部長が研究管理官として農林水産技術会議に転出された好運に恵まれ、管理官が整備課長と直接交渉して下さり、圃場に立派な試験施設を建設することができた。

(1)飼料生産の機械化(乾草作り)に取り組む
(2)普通畑作物の機械化への取組み
(3)野菜作機械化へのチャレンジ

(1)飼料生産の機械化(乾草作り)に取り組む
 研究では南九州の自然条件に対応した農業を進めるため、畜産導入により有機物を投入して畑地の肥沃化を図るため、手始めに飼料生産の機械化から出発する事とした。
 九州畑作地帯の畜産(牛)は、小規模に季節性のある青刈給与を主体に飼養され、端境期の飼料として梅雨時の晴れ間を利用した乾草作りで補っていた。
 そこで、豊かな太陽熱を上手に利用し乾草をつくる方法について、宮崎種畜牧場の乾草生産の調査から始め、牧草の種類・葉茎別の乾草特性が日射量との関係でどうなるかを気象研究室と共同で明らかにした。牧草の乾燥は日射量に比例して進み、乾燥が進み難い茎を破砕・切断傷付け処理すると乾燥速度が2倍以上となり、10a当たり3t 程度の収量の牧草を含水率30%以下にする乾燥作業は、梅雨時でも確保できる1〜2日の晴天で可能であることが明らかになった。そして、その後の貯蔵でき
改造フレール型ハーベスタによる刈取 穴掘型貯蔵乾燥装置
(乾燥が終了すると次の貯蔵穴に送風機を移動)
る15%程度までの乾燥をスノコ上に半乾草を堆積し、ビニールシートで全体を包み屋根空間の太陽熱で温められた空気を堆積乾草内を通して、スノコ下から送風機で吸引し10日程度で乾燥させる貯蔵乾燥法を開発した。そして農家で簡便に行える穴掘型・地上堆積型や反復利用する施設型など、畜産農家の現場で、実用性を確認した。
 また、牧草刈取の茎を破砕・切断傷付け処理する作業機は、青刈・高水分サイレージの収穫機として利用が始まっていたフレール型フォーレージハーベスターを改良し、刈取直後に刈草を放出できるよう、シュート後部側板を切換える簡単な操作だけで汎用的に使える収穫機とし、低コスト飼料生産を可能とする技術に仕上げ、普及を進めた。▲ページTOP
(2)普通畑作物の機械化への取組み
  ( パッカーシーダーの試作)
鎮圧を重視したパッカーシーダー

 九州の畑作農業でもロータリー耕が急速に普及しつつあった。しかし、多雨と干ばつの気象条件と地力増進を図る作業法として、プラウ耕による堆厩肥・前作残さなど有機物の鋤込みが必要と考え、整地作業における鎮圧を重視し、干ばつ期に下層からの水分補給が可能で、豪雨による土壌流亡を防ぐため、下層土から鎮圧整地する心土パッカー、それと共に発芽水分の確保を容易するパッカーシーダーも試作した。これは畑作物栽培に利用し、効果が得られたが、ロータリー耕体系の簡便さには勝てず、広く普及は出来なかった。
  (蔓刈機の開発、普通型コンバインの試験)
 収穫作業では、主要作物の甘藷とソバ・ナタネの普通型コンバイン利用につき試験した。 甘藷では、蔓を細切断処理するフレール型蔓刈機を開発し、作業を大幅に省力化すると共に堀取に北海道で馬鈴薯収穫に利用しているタンク式ポテートハーベスターを導入し、効率化を図った。澱粉原料甘藷は袋詰出荷のため作業体系として普及させることは出来なかったが、蔓刈機は小型専用機も作られ、今日でも利用されている。
普通型コンバインによるソバ・ナタネの収穫作業の試験結果では、収穫適期を頭部損失との兼ね合いで決め、多水分で脆い茎は切断され、2番口へ落下するため防止網を取り付け、シリンダー間隙を広く調整して作業すると、実用的なコンバイン収穫ができることがわかった。▲ページTOP
(3)野菜作機械化へのチャレンジ
 南九州では、輸送性に優れた根菜類の栽培が進められていたため、ゴボウの省力機械化に取組み、縦軸型回転刃で部分深耕と同時に、畦立し、テープシーダー播種する作業機を開発し、長さ40〜50pの加工用ゴボウを、トラクタ作業で簡単に生産できる機械化栽培法を組立てたが、ゴボウは1mと長い物との考えから普及することなく終わった。
葉菜類では、野菜不足による特別研究でレタス栽培の機械化を試験し、マルチ栽培の手動式移植機の試作と、跡地の清掃作物としてソルゴーを栽培し、鋤込み地力確保を図る技術を作りだしたが、収穫機の開発はできずに終った。
九州での仕事は、農業現場で農家に直結した研究に、各専門の研究者が共同で取組むことができた。これは、農業の本質である自然条件に対応して培われた慣行農法からの情報に基づき、技術を組立てる良い勉強の場でもあった。
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